■宇和の米、伊予の水と技で喜んでもらえる酒を造る
・創業史
創業者である宇都宮寅治は宇和町田之仲の生まれ、明治になり知人と共に近くの野村にて酒造りをしておりましたが、相方の撤退を機に、明治43年(1910年)に現在の蔵がある宇和町卯之町鬼窪で独立創業しまして、創業100年を迎えることができました。
建物は創業時に奥の大蔵を近隣の「伊藤酒屋」から、前蔵と店舗を城川魚成から移築したもので骨材はいずれも150年を超す歴史を刻んだものです。
創業者が旧宇和町の住民であった事に加え、ここ西予市はコメの産地で原料となる酒米が豊富にある事、また軟水で口当たりが柔らかい水がある事からこの場所に決めたようです。
創業当時は、宇和町には30件以上の酒造業者があったそうです。
■千鳥飛び立つ鬼窪の湿地帯・銘水百選「観音水」
・創業以来受け継がれてきた酒銘「千鳥」
この名の由来は、蔵のある鬼窪という土地は、古来、夕暮れ時の赤く染まった空に千鳥が群れ飛び帰巣して行くという美しい風景が見られる湿地帯であった事から名付けられたと云われています。
宇和町の水はやさしい軟水で酒造りにも適した地である事に加え、宇都宮酒造では酒母の仕込み水には1日8,000トンともいわれている水量をもち、銘水百選である「観音水」を使っております。
千鳥について
■「花神」–司馬遼太郎先生とのつながり
・桃色の花酒が拓いた縁
創業後、昭和の時代には地元の品評会で8回も優勝し、酒造りにもそれなりの貫禄が出てきた昭和の終わり頃に、新たな取り組みを始めます。
昭和64年(1989年)、桃色酵母を用いたピンクのお酒の製造を当時専務だった四代目社長の宇都宮繁明が創めました。
平成2年には、この綺麗な桃色のお酒に素晴らしい名を付けたいと考え、四代目社長が思いの丈を便箋に書き綴り、司馬遼太郎先生に小説「花神」の名前をいただきたいと懇願したところ、「花の色を思わせるお酒。ありがとう。拙作『花神』の題名をというおおせ、承知しました。愛飲する人の多いことを祈ります。」と直筆のはがきにてご許可を賜り、その後もご縁をいただく事となりました。
花神について
■千鳥の仕込み水の銘水百選「観音水」
・観音水の水質や水量
観音水の水量・水質は選定当時とほぼ変わらず日量8,000トン、良好な状態を保っており、水質は弱アルカリ(pH8.0)で冷たい水、おいしい水、清い水としての声を多くいただき、天の水、霊水として崇められていますので、パワースポットとしても足を運んでみてください。
・観音水の由来や歴史
天正時代の頃、明間堂山城主兵頭藤右衛門一族の一人が、京都清水に参拝。満願の日に観世音の御姿を見、城に尊影を安置し、観世音に「御利生に水を・・・。」と念じたところ山の嶺から清水が湧き出した。との伝説が残っています。
観世音は、通称観音山(現在の城の森の下)の観音堂に安置され、祭日に中山観音水御室へ御移していましたが、明治末期に焼失し、本尊は焼け爛れた姿となっています。観音堂跡地には参道石段、手水鉢が残されていますので、足を運んでみてください。